広島への旅1
丹後旅行から一日置いて、広島へ向かいました。私にとっても子供達にとっても初めての地です。行きたい気持ちと怖い気持ちがずっとあり、子供達にもっと日本について知ってほしいし、母が幼少の頃に住んでいた土地を一緒に訪ねるということで、こちらも去年から考えていた目的地でした。友人に勧められた九州新幹線でいざ!
お弁当を食べたり、トランプゲームをしていると、あっという間に広島に着きます。疲れがまだ残っている子供達と相談し、今回は呉に行くのはやめてホテルでゆっくりすることにしました。クラブラウンジには大変お世話になりました。
水が好きな人たちはプールへ。
京都にも私が小学生のころまで路面電車が走っていたのでした。廃止される前に亡き父と市電で市内一周したこと、懐かしいです。ともあれ、この宮島口行に乗ります。
向こうから来る車体は新しい。
降車した駅ですれ違ったのは、かなり年季が入っている様子で、いろんな年代の車体があるのが好ましいです。
平和記念公園に入りました。
英語の案内文がそこここにあるのがありがたい。
原爆ドーム(正式名称:広島平和記念碑)は、私の心の中でずっと大きい存在でした。調べるとドームの先端までの高さが約25メートルとのこと。1915年(大正4年)に当時の技術竣工したということは100年以上前の建築物なのです。むき出しの鉄柱や当時のままにされているばらばらに散らばっているレンガなどから、心に迫ってくるものがあります。二度と同じことを起こしてはならないという思いから、負の世界遺産と呼ばれているそう。
何度も記念式典の中継で見た原爆死没者慰霊碑(正式名称:広島平和都市記念碑)。実際に何人の方が亡くなったのは分からないまま…1945年暮れまでに約14万人の方が亡くなられたそうです。祈るばかりです。
広島平和記念資料館へ。本館は改修中なので東館に入りました。たくさんの人が押し合うようにゆっくりと進んでいきます。(小さい子供も含めて)ほぼ全員が、息をのむように展示物に見入っています。
地元の小学生や十代の子たちの他に海外からの来館者が目立つように思い、警備の方に母が伺うと半分くらいを占めるのでは、とのことでした。
新しい展示内容は以前に比べると直接的な表現は控えられていると聞いたことがあります。心を打たれたように展示に引き付けられています。
生を得ても後遺症や家族離散などに苦しんだ方々についての展示は、被爆した方々はあなたと同じ幸せな市民だったのですよ、と訴えかけてくるようでした。
アメリカでも有名な禎子さんの折鶴。力がなくなってきても針を使って小さな鶴を折っていた、その小ささ。
やっと訪ねることができました。
日本時間の6日朝に母からメールがありました。8時15分頃に私たちも黙祷いたしました。