今年もジュニアオリンピックにやってきました
けーのクロスカントリー競技のナショナルにやってきました。
去年はテキサス州ヒューストン近郊のテキサス州A&M University, 今年はケンタッキー州ルイビルのEP Tom Sawyer State Park( https://parks.ky.gov/parks/find-a-park/e-p--7810)です。
ケンタッキーは東海岸時間でLAとは3時間の時差。暗いうちに家を出て、ラスベガスでワンストップし、
当地に着いたらあっという間に日が暮れて、真っ暗でした。日の入りは6時前で日の出は朝8時前と夜が長い。今朝7時に起きても真っ暗。
朝食の後、コースの下見をしてきました。
本番の明日は雨模様です。良い経験になりますように。そして今日中に宿題も終わりますように。がんばれ。
ベニシアとわたし(2)
大学生になって英会話学校でアルバイトをさせていただき、 少しフォーマルな英語を教えられたことも、 アメリカで暮らす折々に思い出すことです。
帰国子女が3分の2を占める高校の超ドメだった私は、ベニシアのオフィスにかかってきたビジネスの電話対応で、”What?!?!” なんて対応をして、彼女を青ざめさせ、対応マニュアルを作ってもらったのでした。
(アルバイト時代、京都高島屋でのイベントのブースにて、フルで働いていたとっこさん(左)と私。後ろのポスターは私が作ったのでした。字が微妙…)
各レッスンの終わりがけには、生徒さんにティーをお出しする習慣でしたから、直々に紅茶の淹れ方もならったなあ。
アルバイトをしているある晩、「あー、緊張した。 でもうまくやれたと思う」と帰ってきての第一声は、 初めてNHK大阪でハーブについての収録後のことだったと記憶しています。
(母が持っているベニシアの著書)
(そこに大原でのオープンハウスの案内が残っていました。)
(あーーー、このベニシアのハンドライティング!懐かしさがこみ上げてきました)
幼い頃から英語に接している割に、英語面の上達はあまりなく情けないですが、 言葉だけでない部分でベニシアから教えていただいたことがいっぱいあり、人生の節々で助けてもらってきました。
同じように、力づけられたり、励まされた方々、多くいらっしゃることでしょう。
5〜6年ほど前に、ベニシア宛に感謝のお便りを郵送しました。目を通していただけていればよいのですが…。
大好きな大原の自宅で、 静かに眠るように天国へ旅立たれたと、 ご遺族からお伺いしました。
(待合室での1枚。ご遺族の了承を得て掲載させていただいています)
ベニシア、どうか安らかに眠ってください。たくさん、ありがとう。
ベニシアとわたし(1)
先日、ベニシア・スタンリー・スミス氏が亡くなられました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
振り返れば、ベニシアは私の人生をそっと支えてくれていた人でした。彼女の強さや優しさ、温かさとともに、 私にとってのベニシアを記しておきたいと思います。
ベニシアは幼少の頃のご近所さんでした。小2から数年、 英会話の手ほどきを受けて、 学生時代には声をかけてもらって彼女の学校でアルバイトをしていました。
(右奥がベニシア、奥の真ん中あたりに私。 懐かしいお顔がたくさん見えます。 ご遺族に写真の掲載を承諾いただいています)
社会人になって疎遠になりましたが、渡米してからしばらく、NHK Worldの番組で、 彼女の変わらぬ姿や独特の声にホームシックの時期を癒されていました。英題は”At Home with Venetia in Kyoto"でしたかしら。
(NHKのサイトからお借りしました)
子供たちがトドラーになると、テレビやプリスクールから、 いろんなお遊戯を吸収してきます。そのいくつかは、「あ、 これ知ってる!」と懐かしいもの。ニコニコしながら良い声で歌って踊るベニシアとの思い出は、 異国でとにかく手探りで子育てをしている私にとって、 1人じゃないように思えて、心強いことでした。
よく覚えているのはこの3つ。
🎶ring around the rosies 🎶
🎵You put your right hand in 🎵
♩head, shoulders, knees, and toes♩
ワルツのレッスンもありました。 日本家屋の中をスリーステップでくるくる回るだけの事でし たが、貴族という彼女の育ちがあってのことだったのでしょう。ベニシアが男役で組んでくれていました。もちろんのこと、私には一度も舞踏会に出る機会はなかったですけ れど。
テーブルマナーについても教えてもらいました。印象に残っているのは、食卓で手を伸ばさないこと。「 少し遠くにあるものは、 周りの方に取っていただくようお願いするのよ、pass という単語を使ってね」と。これは私の子供にも言い聞かせています。
三つ子の魂百まで、ではないものの、 幼い頃にベニシアに教えてもらったことが、40年以上経っても身について、 助けてくれているのです。
今回はここまで。後一回、アルバイト時代のお話を少し書けたら、と思っています。
ではまた。
ヨセミテ国立公園いちおし: ミストトレイル
こんにちは!
15歳と13歳がヨセミテ国立公園でいたく気に入ったのが、 Yosemite Valley 内のMist Trail。文字どおりミストのように、滝からの水飛沫が降りしきっていたのが高評価でした。(私にとっては過酷でした)。
シャトルをストップ16番で降りて、 目指すはトレイルの入り口です。
まずはVernal Fallの下に向かいます。
舗装されているので歩きやすいとはいえ、傾斜が厳しく、私はすでに息切れし始めています。
滝の下流の橋に辿り着きました。
目指すは遠くに見える滝の上です。
このトレイルを勧めてくれた友人より「必須アイテム」といわれたレインコート/ ポンチョを着用して、準備万端。
いよいよミストが漂ってきました。そのうち、 ザアザアと雨のように降ってきます。 最初は楽しく登っていたのですが、 600段の石段は伊達ではありませんでした。
心臓がバクバクするし、足は上がらないし、ポンチョがカバーしない顔全体はずぶ濡れで、眼鏡に降りしきる水適で視界は悪いし、膝下部分はジーンズが水をじっとりと含んで重いし、 トレッキングシューズにも水がジワジワ染み込んで不快この上ありません。
「もうだめ、ここで待ちます」 と弱音を吐いたところを夫に励まされ、 休みつつ何とかVernal Fallの上にたどり着いたのでした。
さあ、ゆっくり休んだら帰りましょう。
下りは滑りやすいので 注意です。水溜りだろうが安全そうな場所を選び、靴の中に水が入ることを厭わず、一歩一歩、足を置いていきます。
はあぁ、ある種、命懸けな気持ちで降りてきました。振り返ると滝が聳えています。
私にとっては苦行であり楽しくもありなトレイルでしたが、子たちには大好評でした。 このトレイルは、後1マイルほど先のNevada Fallが終点。次回はそこまで行きたいとのこと、一緒に行きたい私は体力つけないと!
ではまた!
すー、ミドルスクール卒業しました!
こんにちは!ご無沙汰しています。
あっという間に学校年度が終わり、6月上旬にすーのculmination がありました。聞くところによると、graduation という言葉を使うのは、高校以上だとか。
400人を超える卒業生とその家族が大集合しました。対面の式は3年ぶりで、みんなとても嬉しそうでした。
それぞれの名前を読んでサティフィケートを渡すのに40分以上かかりましたよ。すーが豆粒ほどにしか見えません。3年間オールAのゴールド表彰、今回はバイデンのサインのものをいただきました。
すーが珍しく所望した赤い薔薇とお友達のお母様が作ってくれたフレッシュフラワーのレイ。
その夜は、クラスメイトのバックヤードでアカデミー単位のパーティ。
翌日は早朝出発で、同じアカデミーの仲間とカタリナ島に2泊の卒業旅行を楽しんできました。
5月下旬から、卒業ダンスやシックスフラッグスへのグラジュエーションナイト、選択授業で取っていた弦楽器のコンサート、
中学の音楽プログラムが主催のスウィングナイト
など、イベント目白押し。コロナと共存しながら、対策しながらでも、ミドルスクール最後の日々をいろいろ楽しめたようで良かったよかった。
ハイスクール前の夏休みは、3年ぶりに日本に滞在します。すーはずっと日本のvibe を発していたんですよ。楽しい日々になりますように…
ではまた!
コロナと共生する:ロサンゼルスでの一例
12歳以上でワクチンを受けた場合は、その詳細を電子的に提出しますし、PCR検査は学校区の負担で週一回行われ、結果はメールで親までリンクを通知されます。
わが家の子供たちが同じ学校、しかも同じアカデミー(
最初は緊張していた2人とも、無事に新年度を楽しんでいます。けーは新しい友達ができたようですし、
すーの選択授業のストリングスのコンサートは10月に屋外で実施とのこと、衣裳の準備をしています。