ベニシアとわたし(2)

大学生になって英会話学校でアルバイトをさせていただき、 少しフォーマルな英語を教えられたことも、 アメリカで暮らす折々に思い出すことです。


帰国子女が3分の2を占める高校の超ドメだった私は、ベニシアのオフィスにかかってきたビジネスの電話対応で、”What?!?!” なんて対応をして、彼女を青ざめさせ、対応マニュアルを作ってもらったのでした。

 

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(アルバイト時代、京都高島屋でのイベントのブースにて、フルで働いていたとっこさん(左)と私。後ろのポスターは私が作ったのでした。字が微妙…)

 

各レッスンの終わりがけには、生徒さんにティーをお出しする習慣でしたから、直々に紅茶の淹れ方もならったなあ。


アルバイトをしているある晩、「あー、緊張した。 でもうまくやれたと思う」と帰ってきての第一声は、 初めてNHK大阪でハーブについての収録後のことだったと記憶しています。

 

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(母が持っているベニシアの著書)

 

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(そこに大原でのオープンハウスの案内が残っていました。)

 

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(あーーー、このベニシアのハンドライティング!懐かしさがこみ上げてきました)

 

幼い頃から英語に接している割に、英語面の上達はあまりなく情けないですが、 言葉だけでない部分でベニシアから教えていただいたことがいっぱいあり、人生の節々で助けてもらってきました。

 

同じように、力づけられたり、励まされた方々、多くいらっしゃることでしょう。
 

5〜6年ほど前に、ベニシア宛に感謝のお便りを郵送しました。目を通していただけていればよいのですが…。


大好きな大原の自宅で、 静かに眠るように天国へ旅立たれたと、 ご遺族からお伺いしました。

 

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(待合室での1枚。ご遺族の了承を得て掲載させていただいています)


ベニシア、どうか安らかに眠ってください。たくさん、ありがとう。